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裁判員制度を学んできました
昨日は地元自治会主催の裁判員制度のセミナーにいってきました。

お年寄りが強盗傷害事件に遭ったという設定での模擬裁判が行なわれました。
模擬裁判で審議された事件の状況は、下記の通りです。
白い長袖Tシャツを着た若い男性が犯人であったという被害者の目撃証言により、20分後に2km離れた地点で同様の風体の男性が警察の職務質問を受け、逮捕されました。
盗まれたのは1万円札4枚と5千円札3枚からなる55,000円ですが、逮捕された被疑者も同じ構成の55,000円を所持していました。
被害者はお金を封筒にいれており、その内一枚のお札を封筒と一緒にホチキスでとめていたのですが、被疑者の所持していたお札の中の一枚に、ホチキスの穴があいていたのです。
しかし弁護側は、お札にも封筒にも被害者の指紋がついていないという事実を述べ、被害者の所持していたお札と同一のものであるとは証明できないと主張しました。
さらに被疑者は、その55,000円は友人に貸したお金を返してもらったものであると言い、容疑を否認しています。

無職という設定の被疑者は、「そのお金は誰に貸したのか」という検察の問いに対し、「答えられません」と応じます。
逮捕された場所にいた理由については、「友人の家を訪問しようと思ったが、家が分からずさまよっていた」と答え、その友人の名前に関しては「ゲームセンターでの顔見知りというだけで名前は分からない」という返答をしました。

選ばれた6人の裁判員と、3人の裁判官、合わせて9人という中で有罪か無罪かの審議が行なわれ、結果として被告人は無罪になりました。
会場につめかけた100人以上の聴衆にもアンケート用紙が配られ、自分が裁判員であった場合どちらの判断を行なうかについて記入しましたが、集計結果では過半数が無罪という判断をくだしました。
私も、裁判員になったつもりで判断をし、無罪という判決をアンケートに書きました。

上述した模擬裁判の内容を読み、皆さんは有罪・無罪のどちらと感じたでしょうか?
今回の模擬裁判のケースは、被告人の言動は非常に怪しいと感じさせるものであり、一般の常識から判断すれば明らかに有罪と感じられたのではありませんか?
そして、裁判員制度とは、国民の常識をもって判断をすることがひとつの目的であり、いわゆる「常識的に考えて」という判断理由が重視されるべきなのです。
ということは、今回、これだけ怪しいと思わせられる部分が多ければ、「感覚的に」「常識として」有罪である、という結論がくだされるのが自然な流れと思われました。

しかし今回、結果として無罪となりました。私自身の判断も、無罪というものでした。
何故かというと、指紋がなかったという弁護側の主張があったからです。つまり、被告人が犯人であると断定できる決定的な証拠に欠けていたため、「証拠不十分」という概念にとらわれてしまったのです。
裁判員の立場になってみた我々は、本来有罪がしかるべき結論であろう事態であっても、変に司法の常識を汲み取ろうとし、「疑わしきは罰せず」という原則を重視しすぎてしまいました。
証拠や目撃情報をもっと集め、確実でなければ有罪と考えてはいけないのだ、と頑なになり、あるいはまた、他人を裁くことの重みを深刻に受け止めたが故に、有罪という判決をくだせなかったのかも知れません。

裁判官制度が導入されたのは、法律に関する専門的な知識を持たない我々の、日頃の常識や感覚に基づいた判断をすることが求められているからです。
裁判員制度は、無期懲役か死刑など、重い罪状の刑事事件に関する裁判で適用されます。
そういった事件において、裁判員たちが本来の役割である「一般的な通常の感覚」を見失い、司法側の理論に寄った判決を下すことが起きると、罰せられるべき人間が罰せられないという、いわゆる司法の低下を招いてしまいます。
いよいよ裁判員制度の導入が待ったなしで迫っている中で、そのようなことはあってはならないと強く感じました。

さて、本日はこれから、千葉県選出の参議院議員、椎名一保先生のパーティに行ってまいります。